★KISSと出会って ほうきを抱えてシャウトした♪そんな少年時代から
現在ライブハウスをはじめイベントなどで活動中♪(スケジュールは問い合わせてください) ありのままの自分でハートの音魂を弾き語る いま地球(ここ)に・・・・・ RUN! 祈り ∞ Oneness ∞ 今、あなたを感じて・・・ 天空浮船〔アメノウキフネ〕Legend Of SterShip 鳥のように 風のように~ 2分30秒の永遠・・・・など熱いオリジナル曲をあなたのハートにお届けします。 ギターヒーリングミュージック〔インストゥルメンタル〕では逗子・葉山を中心に海と山のエネルギーが変容したKazオリジナルのメディテーションCDのBGM曲SunsetWaveや渚の風など演奏します♪ |

12歳ではじめて買った洋楽がKISSのハードラックウーマンだった。 お小遣いで買えたのがシングルレコード当時600円だったかな? 今日から少し大人だぜ!と思いドキドキとしながら慎重に針を落とした スピーカーから飛び出したサウンドはハードロックというよりポップな感じで好感を持った。 B面はスピード感がありギターの音も歪んだディストーションサウンドのカッコいい曲だった。 たしかタイトルもMr.SPEEDだったかな。 一発で僕はメロメロになってしまった。 大人はこういう音楽を聴くんだ・・・・?と思いながら自分の中で世界がどんどん出来てきた その後KISSからクィーン、エアロ、ツッペリン、イーグルスやELOなど数々の洋楽に入り込んでいった 当時【ぎんざNOW】というテレビ番組で毎週木曜日位だったかな?せんだみつおのコーナーで ポップスベスト10をやっていたんだ。 確かその当時の1位がイーグルスのホテルカリフォルニア 2位がアバのダンシングクイーン 3位がベイシティーローラーズの恋のゲームだったかな?クィーンの伝説のチャンピオンも ストーンズのラブユーライブのミスユーもランキングに入ってた。バスターやエンジェルス もその頃のだったかな? そこではじめて見たKISSにまたまた感動しこの頃からロックスターになりたいと思った。 夢見る少年は教室でほうきを抱え(フライングVに似てたからかなり気に入っていた。) 飛び跳ねシャウトしてどんどんと周りをハードロックへ引き込んでいった。 当然小学6年の僕たちは誰も楽器なんか出来ないし持ってなかったけどメンバーも担当も決まっていた。 僕はリズムギターとヴォーカル♪ 腕を回しギター田をを叩き壊すマネは今で言うエアーギターそのものだった。 自宅の部屋では煎餅の缶の蓋に穴を開け天井からつるしマンガ本を順番に重ね菜箸で叩きドラムのまね事をしてた。 そんな僕の姿を7歳年上の姉が友人のドラマーに話したところ古いドラムセットをくれた。 そこからが本当の音楽生活が始まったんだ。 はじめて買ってもらったギターはクラッシックギターだった。 でも本当はフォークかエレキが欲しかった。 ギター教室にも通ったが2日目で辞めた。 今でもはっきりと覚えているのは最初の練習曲は一本指で【ちょうちょ】だった。 それが本当にアホくさかった。 なぜなら僕の頭の中のイメージではもうギターがギンギンに弾けていたから(実際にはまったくだけど) その後、独学で禁じられた遊びが弾けるようになった。 よく覚えてないけど誰かの見よう見真似でマスターした。 それからお正月のお年玉を貯めて買ったフォークギターが15000円のギブソンハミングバードのコピーだった 今でもそのギターはまだ現役で大事に使ってるから30年以上の付き合いになってる。 そのギターを手にした僕はその後も独学で学ぼうと努力した。 最初はコードを覚えた。ひとつのコード約5時間くらいずーと抑えたまま弾き続けた。 寝ながらもずーっと同じFばかりジャン♪ジャンジャン♪って音にならないままね 手はつりっぱなしでネックから離れないくらいになっていたな~ そして平凡や明星というアイドル雑誌に付録でついていた歌本を見ながら練習した。 ありがたいことにその歌本にはほとんどの歌にコードがついていたから今あればすごい宝物だね。 その後中学1年の時だった。僕が自宅にドラムセットをあるのを風の噂で聞いた吹奏楽部の部長が文化祭でドラムを たたいて欲しいとオファーにきた。僕は見よう見まねで叩いてたドラムだったがその部長の熱意に負け断りきれず 参加の承諾したが、それからが大変だった。慌てて譜面を見て1週間でドラムをマスターした。 ドンチャンドドッチャン♪ドンチャンドドッチャン♪そして体育館での演奏したビートルズのシー・ラブズ・ユーが 人生最初のステージになった。 当時ドラムを叩ける中学生がいなかった為か一躍人気者になった。 その後ビートルズなどをで叩いたりベース弾くようになったと同時にまた新しい出会いがあった。 それは姉の彼氏の車で鳴っていた8トラックの矢沢永吉率いるキャロルだった。 君はファンキーモンキーベイビー♪これにも衝撃を覚えた!カッコいい~これ最高だ! 先輩の家に遊びに行ったらキャロルとクールスをかけてくれてツッパリはみんなこれ聞くんだよ!とね。 それからはキャロルをコピーするようになり本格的のにバンドを組んだ。 僕はベース&ヴォーカルを担当したメンバーは4人みんなで青い作業服を手にいれそれを着て夏祭りの特設 ステージで演奏した。 初めてのライブハウスデビューは中学2年だった。 観客は不良仲間ばっかり約20人、相変わらず僕はベース&ヴォーカルでファンキーモンキーベイビーなど10曲位シャウトした。 中学3年15才になると地元でメジャーデビューしたアナーキーと出会い特にギターの藤沼氏にの家にはよく遊びに行った。
そこでクラッシュやピストルズ、ステュフリトルフィンガーズなど
パンクバンドに目覚め本格的にリードギターをやるようになった。
友人としても付き合っていた藤沼氏を盛り上げるため僕はアナーキーの親衛隊などもやり
毎回ライブハウスに同行した。 沢山のミュージシャンも紹介してくれ彼らも僕をタクゾー(あだ名)って言って可愛がってくれた。 その後、親衛隊の仲間同士で(5人)でマッドバーニングというバンドを組んだ。 その時はアナーキーのコピーバンドだった。 目黒の鹿鳴館をはじめ沢山のライブをやったが15才という進路に微妙な時期で自然と解散した。 高校に進学した僕はやっぱりギターをかき鳴らしていた。 当然メインイベントの学園祭ともなれば僕の出番だった。 正直教室の扉が壊れるほど観客が押し寄せ再びロックスターになった。 その後そこで演ったメンバーを中心に世裏維(JELLY)というバンドでライブを演りまくった。 渋谷のライブハウス屋根裏を中心にラ・ママや曼荼羅・JAM・ロフトなどで活動をした。
結構有名になりメジャデビューの話しもあったがパンクスピリットの
僕たちにはそんなことより演りたいようにやる ことを選び暴れまくった。 この時点ではコピーなんかじゃどうにも発散できず全てオリジナルを演るようになった。 当然ファッションにも気をつかった。ロックファッションって奴だったな~ブラックパンツに刺さりそうな鋲付の
革ジャンや自分の血をつけた破いたシャツ、鎖のリストバンドにDEPで
髪を立たせギターのストラップも長くして膝まで落とした。 オリジナルだけで色んなライブハウスで演ることもできるようになったし街で見知らぬ人からも 世裏維のギターの方ですよね?などと声もかけられるようになるほど順調だった。 しかしバンドをやって行くって女の子と付き合うよりけっこう神経がいることも学んだ
メンバーそれぞれが付き合う相手により音楽の方向性が徐々に変っていき
後に解散をするこれが若い時のバンドってもんだった。 その後、学生生活を終え仕方なく就職をしたがやっぱり音楽で夢を追い続けたいと1年で 就職先をやめアルバイトとスタジオの行ったり着たりバイトが終わるとLTD(400ccのバイク)にまたがり
背中にギター背負ってスタジオに向かうスタジオもほとんど毎日通うから
スタジオのおばちゃんがスタジオ代をつけにしてくれた。
そんな生活が続いたが両親や兄弟などに何度も説教をされ音楽では
食っていけないことを認め真剣に働きしばらくスタジオ通いをやめた。
その後パートナーと出会い結婚をし生活の為に働いたがいつも
ハートの内側では音魂の叫び続けていた。 平凡な生活をするために何本ものギターや大型3段積アンプを売ったりもした。 そのうち仕事の忙しさに託け僕の中の音楽活動を封印した。 それから約20年の時間が経った。 2004年に僕は脱サラをして何か人の役に立ちたいと願いヒーラーとなった。 会社という鎧を脱ぎ捨て自由なスピリットとなった時、僕の鼓動が激しくハート内側からをノックした。 そう僕の音魂くんだった。 当然もうバンドなんかやってないし、メンバーもいなかった。 でも、僕は歌いたかった。 自由になった自分に唄うことの封印をやっと解く時がやって来てた。 ギターかき鳴らしでひとりでどこまで出来るんだろう?と新しい挑戦をした。
オリジナルは沢山あったから20年前の歌を唄ってみたけどもうその頃の歌とは
もうエネルギーが違っていた。 またここから自分探しの旅がはじまったんだ。 色んな曲を唄ってみたロックもアニソンもひばりさんも歌ったどれも評判は良かった。 でもしょせん他人の曲だしなにか満足できなかった。 曲もどんどん書いていったがいまひとつ満足いかなかった。 沢山のアーティストともコラボもした。
そして2007年同じヒーリング仲間同士〔4人〕でメディスンホーイールと言う
グループで数回のライブをやった。 女性ヴォーカル二人にバンスリ(インドネシアの竹笛)と僕のギターだ。 どんどん曲ができた。本当に天から降りてきた。わずか数十分で曲が書けた。 飛行機の移動中メモ用紙の上で出来たり不思議なくらい簡単に曲ができた。 それから必要な歌を天から使命のように書き続けるようになった。 そして、今またソロで僕自身スピリットの声を聴き 自らのVoiceという最高の楽器をギターという友と一緒に旅を続けている 瞬間(いま)地球(ここ)に・・・・すべてはひとつ
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